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西武モハ101形電車 (多摩湖線) : ミニ英和和英辞書
西武モハ101形電車 (多摩湖線)[せいぶもは101かたちでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
西武 : [せいぶ]
 【名詞】 1. (1) Seibu (conglomerate: stores, railway, etc.) 2. (2) Western military 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [みずうみ]
 【名詞】 1. lake 

西武モハ101形電車 (多摩湖線) ( リダイレクト:西武モハ101形電車 ) : ウィキペディア日本語版
西武モハ101形電車[せいぶもは101かたちでんしゃ]

西武モハ101形電車(せいぶモハ101がたでんしゃ)は、かつて西武鉄道に在籍した通勤形電車多摩湖線の車両近代化のため、従来在籍した木造車の主要機器を流用して1949年昭和24年)〔中川浩一 「西武鉄道補遺」 (1969) p.67〕から1953年(昭和28年)〔今城光英・酒井秀夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.80〕にかけて製造された、全長12m級の小型車である。
本項では、後年一部の車両を電装解除して制御車としたクハ1111形電車〔加藤新一・今城光英・酒井秀夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 2」 (1969) pp.60 - 61〕、ならびにモハ101形の制御車として運用するため気動車を改造して竣功したクハ1101形電車(初代)およびクハ1121形電車〔今城光英・酒井秀夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.81〕についても併せて記述する。
また、本項における車両番号(車番)の世代表記(「初代」「2代」など)については、本項記述の各形式内に限定した世代表記を用いることとする〔(現)西武鉄道において在籍車両の一斉改番が実施された1948年(昭和23年)6月までの期間、(旧)西武鉄道引き継ぎ車であるモハ100形101 - 112・クハ1100形1101 - 1108(改番後はモハ151形・クハ1151形)、および同じく(旧)西武鉄道引き継ぎ車である客車改造木造制御車クハ1110形1111・1112(改番後はクハ1151形へ統合)がそれぞれ存在した関係で、モハ101 - 107・クハ1101・クハ1111・1112の車番世代表記は実際には全車とも1世代多い表記が正確なものであるが、煩雑さを避けるため同10両の世代表記は本項記述の各形式内に限定したものとする。〕。
== 概要 ==
1945年(昭和20年)9月の武蔵野鉄道・(旧)西武鉄道の合併に伴う(現)西武鉄道の成立〔当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。〕以降、旧武蔵野鉄道に属した各路線はいずれも架線電圧1,200V仕様で電化されていたものを1950年(昭和25年)7月に(旧)西武鉄道に属した各路線に合わせて架線電圧1,500Vに昇圧し〔杉田肇 「西武鉄道の電気機関車」 (1992) p.241〕、さらに多摩線(現・多摩川線)等の非電化路線についても順次電化を施工し、路線規格の統一が推進された〔青木栄一 「西武鉄道のあゆみ -その路線網の拡大と地域開発-」 (1992) p.110〕。しかし、旧武蔵野鉄道に属する一路線であった多摩湖線については、当時運行系統が他路線から独立していたことや〔多摩湖線は萩山より分岐して本小平に至る支線を有していたが、多摩湖線本小平駅は新宿線小平駅の南西方に立地する独立駅であり、また架線電圧ならびに車両規格の相違から線路は接続されていなかった。本小平駅は1949年(昭和24年)11月に小平駅と統合され、さらに1955年(昭和30年)3月に小平 - 萩山間が架線電圧1,500V仕様に昇圧されたものの、1958年(昭和33年)9月の萩山 - 多摩湖間の架線電圧1,500V昇圧完成まで全列車とも小平 - 萩山間での折り返し運転が実施された。なお、小平 - 萩山間については1962年(昭和37年)9月の上水線(現・拝島線)萩山 - 小川間の開通に伴って多摩湖線から上水線へ移管され、現在は拝島線の一区間となっている。〕、車両規格が狭小であることにより他路線との車両の共通運用が不可能であった等の理由から、架線電圧600V仕様のまま存置された〔。
当時の多摩湖線は、同路線の前身である旧多摩湖鉄道が保有した引き継ぎ車両や、西武軌道線(後に東京都交通局へ移管され、都電杉並線と改称)から転属した車両によって運用された〔中川浩一 「昭和20年代半ばの多摩湖線 -半世紀前への回想-」 (2002) pp.160 - 161〕。それらは二軸単車、あるいはボギー車であっても路面電車型の小型車であったことから輸送力に乏しく、また全車とも高経年の木造車であり老朽化が著しかったことから、他路線で運用される車両と比較して質的に見劣りするものであった〔『RM LIBRARY30 所沢車輌工場ものがたり(上)』 (2002) p.19〕。モハ101形は多摩湖線用車両の体質改善を目的として、従来車のうちボギー車各形式より主要機器を流用し、車体を新製する形で製造されたものである〔〔。なお、クハ1111形の一部が新製名義で落成したほかは、モハ101形を含む各形式とも種車の車籍を継承し改造名義で落成した〔〔〔。
1949年(昭和24年)から1958年(昭和34年)にかけて、4形式延べ12両が増備された各形式は、600V電化当時の多摩湖線専用車両として、多摩湖線の全線1,500V昇圧が完成した1961年(昭和36年)9月〔『カラーブックス 日本の私鉄2 西武』 (1982) p.112〕まで運用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西武モハ101形電車」の詳細全文を読む




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